2021.4.8 12:00

【ベテラン記者コラム(130)】照ノ富士、番付通りの力を示してほしいと切に願う

【ベテラン記者コラム(130)】

照ノ富士、番付通りの力を示してほしいと切に願う

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 どうでもいいことだが、もしかしたらと思い、やっぱりそうだったと一人で納得した。大相撲春場所で優勝し、21場所ぶりの大関復帰が決まった照ノ富士が生まれたのは1991年。その年に彼の生まれたモンゴルにいた。当時は文化報道部の芸能担当。人生で唯一のモンゴル行きは映画のロケ取材だった。

 モンゴルの英雄チンギスハンを題材にした映画だったと思う。主役の俳優は不在で、エキストラを使ったシーンのみの取材。ゲルと呼ばれる移動式住居に泊まり、夜は草原に寝そべって星空をながめた。見渡す限りの草原に明かりは一切ない。落ちてきそうな満天の星に圧倒された。流星のようにすーっと流れる人工衛星を肉眼で見たのも、あのときが初めてだった。

 首都のウランバートルには、まだレーニン像があった。ホテルのシャワーはたびたび冷水になった。当時のモンゴルは決して豊かな国ではなかった。1991年は国名が「モンゴル人民共和国」だった最後の年。その年に生まれた照ノ富士と初めて会ったのは、2度目の相撲担当になってからだが、やんちゃな大関は嫌いではなかった。

 両膝のけがに苦しみ、かど番を繰り返していた大関が2度目の賜杯に大きく近づいたのが、2017年の春場所だった。13勝1敗の単独トップで迎えた千秋楽。2敗で追っていた新横綱稀勢の里に本割、優勝決定戦ともに敗れた。14年ぶりに誕生した日本人横綱の稀勢の里の人気は絶大だった。13日目の取組で左肩を痛めたことで、判官びいきも加わった。

 照ノ富士は完全アウェーだった。新横綱の優勝に館内が沸く中、支度部屋で絞り出すようにつぶやいた言葉が忘れられない。「目に見えるつらさもある。目に見えないつらさもある。お客さんは目に見えないことが分からないからね」。前年の1月には左膝の内視鏡手術を受けていた。17年初場所までの大関10場所で4度の負け越し。大関昇進後では初となる優勝を逃した悔しさがにじみ出た。

 その年の九州場所で大関から陥落し、内臓疾患の影響もあって一時は序二段まで落ちた。そこからの大関復帰。現行のかど番制度となった1969年名古屋場所以降、平幕以下に落ちての復帰は魁傑以来2人目という。

 まさに快挙だが、強い横綱、大関が不在の今の相撲界だからこその返り咲きであることは否めない。夏場所からは横綱昇進を目指す土俵が始まる。ぜひ、番付通りの力を示してほしいと切に願う。この2年ほどで平幕優勝は4人。個人的にはおなかいっぱいだから。(臼杵孝志)