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【心に残るホークス遺産】野村克也さんの栄光と記憶永遠に…京丹後市網野町の“記念館”訪ねた

【心に残るホークス遺産】

野村克也さんの栄光と記憶永遠に…京丹後市網野町の“記念館”訪ねた

特集:
ありがとう、野村克也さん
おかえり!ノムさん 大阪球場(なんばパークス)に。
網野町にある野村克也ベースボールギャラリー。地元の英雄をたたえる展示品が並べられている

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 その他にも、数々のトロフィー、懐かしい写真、深みのある言葉が書かれた色紙…。オールスターMVPでもらったという巨大なしゃもじも。今後も野村さんが使用していたグッズなどを増やしていきたいという。

 野村さん抜きに語れない南海の歴史。最大の功労者を生んだ町を「ホークス遺産」と呼んでも、誰も文句はないでしょう。

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★寒冷地が名言生む?

 網野町で生まれ育った野村さん。早くに父を亡くし、家計を助けるために産経新聞の新聞配達をしていたのは有名な話。ボソボソ話す自身の性格に関して問われると「あんな寒いところで育つと、大きな口を開けて話せない」と笑っていた。「王、長嶋はひまわり。俺はひっそりと咲く月見草」とONと対比した名セリフも、日本海に面するこの寒冷地で育ったからこそ誕生したものだ。

★福山雅治も訪れた

 森さんの息子は「グーフィ森」の名前で活躍する名音楽プロデューサー。1990年代から2000年代にかけての福山雅治の曲をプロデュースしたことでも知られている。「福山君は私のことを『おじいちゃん』と慕ってくれて、網野にも遊びに来ました。野村家の墓参りもしてくれました。カニを腹いっぱい食べさせましたよ」と森さん。丹後の“ホークス遺産”は、あの福山も訪れていた!

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