2021.1.10 07:30(2/4ページ)

【心に残るホークス遺産】野村克也さんの栄光と記憶永遠に…京丹後市網野町の“記念館”訪ねた

【心に残るホークス遺産】

野村克也さんの栄光と記憶永遠に…京丹後市網野町の“記念館”訪ねた

特集:
ありがとう、野村克也さん
おかえり!ノムさん 大阪球場(なんばパークス)に。
2009年11月21日、京丹後市市政5周年の式典に招かれた野村さん。名誉市民として、熱烈歓迎を受けた

2009年11月21日、京丹後市市政5周年の式典に招かれた野村さん。名誉市民として、熱烈歓迎を受けた【拡大】

その他の写真(2/4枚)

 この事業に尽力し、野村さんの「網野町後援会長」を長く務めてきた森四郎さん(92)に「かっちゃん」の思い出を聞いた。

 「かっちゃんの家と私の親が親交があって。彼のお母さんが入院した時は、我が家でしばらく暮らしていたことも。6歳下のかっちゃんをよく泣かしました」

 92歳とは思えない元気な森さん。「野球人・野村」のセンスをこの世で一番早く見抜いた人かもしれない。

 「竹のバットで軟式野球をしまして。年下なのに一番上手。遠くに飛ばすんです。あの頃から理論的でした。メンコをしても、風を読む。風圧を利用する。科学的というか、自分の考えを構築してましたねぇ」

 かの有名な「ノムラの考え」の原点が少年時代にあったとは…。

 南海ホークスでチームを優勝に導き、次々と記録を塗り替えていく日々をずっと見守り続けた森さん。何度も大阪球場に足を運んだという。ヤクルト、阪神、楽天の監督時代も声援を送り続けた。ふるさとの応援団長が「一番の思い出」と語るのが、三冠王に輝いた1965年のオフ。野村さんの網野町凱旋だ。

 「天橋立駅まで迎えにいきました。このあたりにはオープンカーはなかったんですが、必死で探して、用意しましてね。駅構内にホークスの応援歌を流してもらって。そこからパレード。お母さんも一緒に。網野町民が沿道から、家の2階から、一斉に紙テープを投げまして。その時の写真があそこです」

 指差す先は、ギャラリーの正面入り口の右側。若き日の野村さんが恥ずかしそうに手を振る-。証拠写真は、ギャラリーの最大の見どころだ。

【続きを読む】